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明日の経営を考える―名経営者・哲人の金言②
皆さま,こんにちは。
弊所のブログをご覧いただき,ありがとうございます。
今日は,2021年最後の日。大晦日です。皆さま,いかがお過ごしでしょうか。私は,昼過ぎまでに大掃除を終え,その後は家族とゆっくり過ごしながら,年越しそばを頂きました。
来年が皆さまにとって,良い一年になることを祈りつつ,名経営者・哲人の金言を紹介させていただきます。
1「足るを知る」(稲盛和夫さん)
~膨れ上がる欲望を満たそうとしている限り,幸福感は得られません。反省ある日々を送ることで,際限のない欲望を抑制し,今あることに「感謝」し,「誠実」に努力を重ねていく―そのような生き方の中でこそ,幸せを感じられるに違ない。~
2「幸福の鍵」(稲盛和夫さん)
~幸福になれるかどうか,それは心のレベルで決まる―私たちがどれだけ利己的な欲望を抑え,他の人に善かれかしと願う「利他」の心を持てるかどうか,このことが幸福の鍵となるということを,私は自らの人生から学び,確信しています。~
【出典:稲盛和夫著「稲盛和夫一日一言」】
いずれもまさに珠玉の箴言であり,私自身自らの半生を振り返り,人間が人生を送る上で,幸福を感じられるか否かを分けるポイントとして,常に念頭に置くべき内容であると思います。
人間の欲望は,自ら適切にコントロールしようとしないと,際限なく膨らみ,特定の物理的欲求が満たされても,それに飽き足らず新たな欲求を満たそうとする。このような状況を繰り返す限り,渇望感が増すばかりで,いつまでも幸福感は得られないように思います。
稲盛さんが繰り返し仰るように,利己的な情動を抑え,「利他の精神」「知足の心」を潜在意識に透徹するほど強く意識し,これらを根っこに据えて日々行動することで,物理的欲求や渇望感を適切にコントロールし,日常の生活や仕事において,幸福感を得られるようになるのだと思います。
これが今年最後のブログになります。本日も弊所のブログをご覧いただき,ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。皆さまのご健勝,ご多幸を祈念しております。
明日の経営を考える―名経営者・哲人の金言①
皆さま,こんにちは。
弊所のブログをご覧いただき,ありがとうございます。
1はじめに
弊所の開設前後を通じ,ご縁をいただいた中小企業の皆さま,個人事業主の皆さまの経営を法務・税務等においてサポートさせていただいておりますが,小さいながら自ら事業経営に携わる立場になりました。それ故に以前と比べ,名経営者とされる方々が著した啓発本を読んだり,志を同じくする方々が運営する勉強会に参加したりして,企業経営について考えを巡らせる時間が多くなりました。
現在は,変化が非常に激しい時代です。日々刻々と変化する状況に即応する柔軟性が大切であることはいうまでもありません。しかし,他方で,時代や業種を問わず,企業経営に妥当する普遍的な価値観や理念というものも確実に存在すると思います。私たち企業経営に携わる者は,そのような普遍的な価値観や経営理念をしっかりと確立し,それらを根っこに据えて事業運営に当たるとともに,自社内外にそれらを浸透させる使命を負っている旨の思いを日々強くしているところです。
私は,生ある限り,自らの人生や経営について考える果てなき旅を続けることになります。
そこで,自戒の意味も込めて,これから不定期に名経営者・哲人の金言を紹介させていただき,自らの思考を深め,あるいは,振り返りの機会にしたいと思います。
2「成功は運のせいである。失敗は自分のせいである。」(松下幸之助さん)
~私自身の経営については,このように考えてやってきた。すなわち物事がうまくいった時は〝これは運がよかったのだ〟と考え,うまくいかなかった時は〝その原因は自分にある〟と考えるようにしてきた。つまり,成功は運のせいだが,失敗は自分のせいだということである。
物事がうまくいった時に,それを自分の力でやったのだと考えると,そこにおごりや油断が生じて,次に失敗を招きやすい。実際,成功といっても,それは結果での話であって,その過程には小さな失敗というものがいろいろある。それらは一歩過てば大きな失敗に結びつきかねないものであるが,おごりや油断があると,そういうものが見えなくなってしまう。けれども〝これは運がよかったから成功したのだ〟と考えれば,そうした小さな失敗についても,一つひとつ反省することになってくる。反対に,うまくいかなかった時に,それを運のせいにして,〝運が悪かった〟ということになれば,その失敗の経験が生きてこない。自分のやり方に過ちがあったと考えると,そこにいろいろ反省もできて,同じ過ちはくり返さなくなり,文字通り「失敗は成功の母」ということになってくる。~
【出典:松下幸之助著「実践経営哲学」】
非常に深い内容ですよね。私も全くそうですが,人間は,とかく物事がうまくいっているときは,それを自分の力であると過信し,逆に,物事がうまくいかないとき,あるいは,何かに失敗したときなどは,自らを省みずに,原因を他者に求める,そういう傾向があると思います。しかし,過信等から生じる慢心,驕りこそが,やがて大きな災禍をもたらす原因になりかねません。また,素直な心,謙虚さを大切に,日々反省しこれを活かすことが,その後の成功を引き寄せる着実な一歩になるものと思います。
一見ごく当たり前のことのように思われますが,「言うは易く行うは難し」です。常に肝に銘じ,日々の実践を心掛けたいと思います。
弊所のブログをご覧いただき,改めて感謝申し上げます。皆さまとのご縁に感謝し,日々精進して参ります。
サウナで浮かぶマジックセンテンス!!
皆さま,こんにちは。
弊所のブログをご覧いただき,ありがとうございます。
今日は,私の大好きなサウナをネタに思うところを気ままに綴りたいと思います。
1サウナの効用
コロナ禍が想定以上に長引き,行動自粛が求められる中,私も,基本的にサウナの利用を控えていましたが,9月末日をもって緊急事態宣言が解除されたことから,感染症対策をきちんと講じた上で,少しずつサウナ通いを再開しました。
サウナは,全身の血行が良くなり,利用後言葉では表現し難い爽快感・幸福感が得られます。私にとって,サウナは健康の維持増進にとって欠かせないものです。
サウナの効用については,様々な内容が語られていますが,私も愛読している「人生を変えるサウナ術 なぜ,一流の経営者はサウナに行くのか?」(KADOKAWA 本田直之・松尾大著)によれば,物心の両面及び社会的効用として,それぞれ以下のような効用があるとされています。
<フィジカル的効用>
①運動後の爽快感,リフレッシュ効果
②良質な睡眠が得られる
③ご飯が驚くほど美味しくなる
④免疫力が高まり,風邪を引きにくくなる
⑤心臓病,アルツハイマー病などの健康リスク低減
<メンタル的効用>
①自律神経が鍛えられ,精神が安定する
②幸福を感じやすくなる
③デジタルデトックスとマインドフルネス
<ソーシャル的効用>
①心と身体の距離がゼロになる
②サードプレイスとしてのサウナ
③サウナでつながるコミュニティの輪
これらの効用については,サウナを愛する私の実体験を通じても,どれも積極的効用として頷けるものです。ですので,個人差等は当然あり得ますが,サウナの利用により,これらの効用が得られることについては,間違いないと太鼓判を押します。
各効用の詳しい内容について,興味のある方は,是非上記の本を読んでみてください。ちなみに,メンタル的効用の③とは,どういうことか少し触れておきます。現在私たちの身の回りにはスマホやタブレット等のデジタル機器が溢れ,ともすれば大量の情報に振り回されつつあります。サウナは,基本これらデジタル機器の持ち込みが禁止されていますので,サウナの利用により,デジタル機器の利用,ひいては溢れる情報から半ば強制的に遮断される状況が作出されます。この点を捉えて,「デジタルデトックス」と表現されています。そして,サウナがストレスフルな外界の情報をシャットダウンして利用者をしてリラックスさせ,頭をクリアにして自身の内面を向き合わせる,究極のマインドフルネスが実現されるというのです。
サウナの利用を通じて思うことは,本当に良いことづくめであり,マイナスの点が思い浮かびません。興味のある方には,是非試していただきたいと思います。
ただ,ご留意いただきたいのは,心臓疾患を既に抱えていらっしゃる方や,動脈瘤や静脈瘤など血管にコブが既にできている方などです。上記のとおり,サウナには心臓疾患の予防効果が期待されるのですが,既に心臓疾患等を患っていらっしゃる方は,サウナの利用に当たり,必ず医師に相談の上利用するようにしていただきたいと思います。
2温冷交代浴で「ととのう~」
サウナの利用により,上記のとおり,様々な積極的効用が得られるのですが,サウナ室に入って汗を流すだけではダメです。いわゆる温冷交代浴という「サウナ→水風呂→外気浴」というサイクルを,お好みで何セットか繰り返す利用法が推奨されています。この温冷交代浴により,「ととのう」という極上の感覚が得られ,多くの利用者をサウナの虜にするのです。
「サウナ→水風呂→外気浴」というサイクルの中で,私たちの身体にどのような変化が起きているかについて,上記の本で分かりやすく解説されていますので,該当部分を引用させていただきます。
~ サウナ室に入ると,身体は熱い空気に包まれてじわじわと汗が出てくる(汗が出るまでの時間には個人差があるが,サウナに入って汗を書くのに慣れれば慣れるほど発汗までの時間は短くなり,サウナ室内に足を踏み入れるとほとんど同時に,クリスタルのようなきめ細かい汗が全身の毛穴から噴き出してくる)。体内の老廃物が汗とともに排出され,身体の物質交換が進んで疲労回復に繋がる。
そうしてしばらくサウナにいると,だんだん熱くなってきて,40℃近くまで上昇した体温を冷まそうと皮膚の表面の血流量が増加し,脈拍も平常時の2倍ほどの速さになる。
「サウナ=気持ちいい」というわけではなく,むしろ不快感が増して交感神経が活発になる。80~90℃もあるサウナ室に何時間も居たら死んでしまうので,身体が危険信号を出すために交感神経が活発になるのは生物としては当たり前のことだ。
そうして「熱くなってきたな・・・・・・」となってきたところで,サウナ室を出て水風呂に入る。温められていた身体が冷たい水で急速に冷やされ「気持ちいい~!」となるところなので,サウナ―の中にも特に水風呂をメインの楽しみにしている人は多い。
しかしながら,水風呂でも,リラックスしているときに優位になる副交感神経ではなく,交感神経が優位になる。16℃などの水風呂(場所によっては一桁台の温度の水風呂もある)にずっと浸かっていたら,体温はどんどん下がり,またもや生命の危険に晒されることになるからだ。
水風呂も十分に浸かったところで,浴槽を出て,外気浴スペースで休憩を行う。このとき,サウナ→水風呂で大きく交感神経優位になっていたところから,反発して逆に副交感神経が優位となり,身体全体が一気にリラックスモードに入る。水風呂によってぎゅっと収縮していた血管が解放され,体表温度も脈拍も平常時近くに戻る。
この交感神経優位から副交感神経優位に自律神経がスイッチする際の感覚,極端に暑かったり寒かったりした環境から,平常の環境に戻ってくると「ホッとする」。
この,自分の基準である体温や脈拍へと一旦リセットされ,リブート(再起動)されるときの,いうなれば野性的な感覚が,サウナにおける爽快感であり,「ととのう」という感覚の正体だ。~(「人生を変えるサウナ術 なぜ,一流の経営者はサウナに行くのか?」(KADOKAWA 本田直之・松尾大著)P32~34より引用)
サイクルを構成する,サウナ,水風呂,外気浴は,「ととのい」を得るためには,どれも欠かすことのできない必須の要素です。熱さと寒さという両極の極限状態に連続して身を置くことで,自律神経のうちの交感神経が優位になります。そして,水風呂から出て椅子やリクライニングシートに身を委ねて休憩を取ることで,一転して副交感神経が優位になり,言葉では表現し難い爽快感・幸福感が得られるのです。例えるなら,身体の中の全細胞が瞬時に生まれ変わり活性化しているような,最高の快感です。
3サウナ室での呟き
「ととのい」を得るために,サウナも水風呂も欠かせないプロセスですが,人によって,どちらに重きを置くか,楽しみにしているかは結構別れるのではないかと思います。私は,長らく水泳をしていたことが影響してか,断然水風呂派であり,サウナ後の水風呂入浴で体感できる「天女の羽衣」に包まれるような極上の感覚がサウナ利用時の大きな楽しみです。利用施設ごとに水風呂の水温はまちまちですが,おおむね16℃前後に設定している施設が多いと思います。私の場合,サウナに8~10分程度入った後,水温16℃前後の水風呂であれば,2~2分30秒程度水風呂に入り,それから10分前後休憩して「ととのい」を得るようなサイクルになります。
最近でこそ,サウナ室内での温熱やそれに伴う発汗も快く感じられるようになりましたが,それでも,入室後の時間経過と共に息苦しさが募っていきます。水風呂というメインディッシュを堪能する上で避けて通れないプロセスではあるものの,通常ではあり得ない85~100℃程度の極限状態に一定の時間身を置くことになるので,時間の経過と共に苦行の様相を呈してきます。
そんなサウナ室での孤独の格闘の中で,私の頭に浮かび,心の内でブツブツと唱える内容があります。江戸幕府の開祖である徳川家康が遺した「東照公御遺訓」であり,宮澤賢治が遺した「雨ニモマケズ」です。いつの時代にも通じる普遍的で,とても貴重な内容ですので,以下,引用させていただきます。
<東照公御遺訓>
人の一生は重荷を負て 遠き道をゆくが如し いそぐべからず 不自由を常とおもえば不足なし こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし 堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ 勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる おのれを責て人をせむるな 及ばざるは過ぎたるよりまされり
<雨にも負けず(現代語訳)>
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲は無く
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子どもあれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
私は なりたい
改めて各引用文を読んでいますが,いずれも本当に名文ですよね。実り多き人生を歩むうえでの心構え等が凝縮されていますよね。願わくは,「東照公御遺訓」にあるような境地に到達したい,「雨ニモマケズ」で描写されている人物のようになりたいとの思いが,そうさせるのか,サウナ室に入って5分程度が経過し,息苦しさが相当募ってくる頃合いから,これらが頭に浮かび始めます。そして,それぞれ2~3回繰り返し心の中で唱えてからサウナ室を出るのがサウナ利用時のルーティーンになりつつあります。いくら素晴らしい内容であっても,声に出してブツブツやってしまっては,他のサウナーに迷惑ですし,度が過ぎれば,それこそ出入り禁止にもなりかねません。あくまで心の中で,無言で唱えておりますので,ご安心ください(笑)。
このようにサウナは,私にとって,最高のリフレッシュ法であるとともに,貴重な精神修養の場ともなりつつあります(笑)。十分な感染症対策を講じた上,サウナライフを楽しんでいきたいと思います。
本日は,弊所のブログをご覧いただき,改めて感謝申し上げます。皆さまとのご縁に感謝し,日々精進して参ります。